政治参加の自由化
志ある者が続々と政治の世界に飛び込んで社会をより良く変えていけるようにするのか、それとも、政治は一部の人間だけにまかせておけば良いのか。
人間にとって最も尊い行為のひとつが、自分たちの手で世の中をより良く変革していく行為である、といわれています。現代社会においては、政治参加を通じ、社会の仕組みの誤りを正し、より良き仕組みへと創り変えていくことが重要な行為である、ということです。
我が国の憲法前文には、主権在民が唱えられています。主権在民とは、「国民の意志によって、自分たちの政府をいくらでも作り変えることができる」ということです。つまり、「自分たちの運命を自分たちで決める自由」が保障されてこそ、本当の主権在民といえます。
自分たちで政府を作り変え社会を変革していける「政治参加の自由」が保障されている国は、真の民主主義国家です。
しかし、国民の「政治参加の自由」は、最大限に尊重されているとはいえません。世襲政治家、マスコミ好みの人、こういった一部の人たちが選挙では圧倒的に有利であり、いくら志があろうとも、有能であろうとも、簡単には政治家になれないのが現状です。
複雑怪奇な公職選挙法、不公平な政治資金規正法、マスコミの偏向報道、高額な供託金、様々な参入障壁が存在します。
「政治参加の自由」がないとどうなるか。例えば、いくら「政治を変えろ」と言っても、政治家は口先ばかりで動きません。それならば「自分たちで変えようではないか」と立ち上がろうとしても、様々な障害があって、なかなか政治家になるチャンスがない、政治を変えるのをあきらめるしかない、こんな社会です。
世襲議員やタレント議員が全て悪いとは言いません。しかし、少なくとも、志ある者に対しては、政治家になるチャンスの平等は保障すべきです。今のままでは、国家にとっても、国民にとっても、大きな損失です。
「政治参加の自由化」を推し進め、志ある者が続々と政治の世界に飛び込んでこの国をより良く変えていけるようにする、そんな国にしないといけません。